鎮神頭


黒灰色(こっかいしょく)の魔女と時の魔女』、『第五章第三話(四)鎮神頭』更新します。
チェスに関してあまりにも強くなりすぎてしまったアウラ。
『教師エリフ』は次の手としてアウラに囲碁を教えます。
初めての囲碁、予想通りアウラは只者ではなかった、というお話です。
読んで下さいね。
絵は『乳母サリー』の中の人であるサリーのイメージです。

前回に引き続き、今回も対局もの。
囲碁対局です。
使わせていただいた棋譜は古典囲碁の名局、『鎮神頭』です。
この譜面は幼き頃、父に教わりました。
双方の強さがはっきり出ていて、白優勢で進み、黒の大逆転の棋譜として当初から採用を考えていたものです。
小説のマテリアルとしては短手順なのが良いですね。
凄い戦いなのですが、以下のサイトで実譜を並べることができます。

平安時代 顧師言 対 伴小勝雄

白番は日本国王子、黒番は顧師言(こしげん)と言われています。
日本国王子が誰なのかに関しては伴少勝雄(とものおかつお) 説と高岳親王説があるそうです。

とはいえお二方とも時代が合いません。
対局が行われたのは旧唐書宣宗本記では 大中二年(西暦八百四十八年)、杜陽雑編巻下では大中(西暦八百四十七年~ 八百六十年)の中頃とされています。
高岳親王は弘法大師空海の十大弟子の一人で偉いお坊さん。
入京したのは貞観六年(西暦八百六十四年)、六十代中盤になってからのこと。
長安に渡ったのは求法の為で、碁を打ちに行ったわけではなく、この方を件の日本国王子と考えるには色々無理があります。
ここでは伴少勝雄説を採用します。

伴少勝雄(小勝雄)は伴雄堅魚ともいい、平安時代の貴族です。
延暦二十三年(西暦八百四年)の第十八次遣唐使船に碁師として随伴しました。
当時十九歳という若さ。
一回でも負けると次の対局機会が失われるという条件の下で唐の碁師相手に勝ち進んだそうです。
少勝雄は遣唐使の碁師に選出されるくらいですから、当時日本の第一人者であったのだろうと思われます。
唐側から見ると朝貢国である日本から来た碁打ちが予想外に強く、様子見に出した打ち手のみならず、高位者までもが次々に負かされていくという嫌な展開。
まさに道場破りにあった名門道場という感じですかね。
唐側としてもこれ以上負けられないというところまで追い詰められました。
そこで出てきたのが顧師言というわけです。

小説内では四隅の星は手順で指されたことにしていますが、実譜では予め置かれたものです。
古代の囲碁ではこのように四隅の星にタスキ掛けで置石してから指すルールであったようです。
黒(先手)を持っているのが 顧師言 であることにご注意ください。
古代においてはコミも無く、 本局のように上位者が黒を持つこともあったようです。

対局は序盤から互いに活殺相まみえる激しい戦いになります。
白優勢で進んでいくのですが、ある手筋に流れてゆきます。
戦いの流れはこのサイトで確かめてください。
45手めが鎮神頭。
一手で両シチョウを防ぐ伝説の鬼手です。

少勝雄は顧師言に敗れました。
少勝雄は鴻臚卿(使節応対に当たる官署の長官)に顧師言の唐での序列を尋ねます。
鴻臚卿は第三位である旨を告げます。
少勝雄は「小国の一位でも大国の三位に敵わないのか」と嘆いたといいます。
そして第二位者、第一位者との対局を望みました。
願いはやんわりと拒絶されます。
それどころかその後、少勝雄に対局の機会は与えらませんでした。
それもそのはず、顧師言は棋待詔(待詔のうち囲碁をもって仕える役職)、唐の第一位であり更なる上位者など居なかったのです。
最終兵器を投入して辛うじて面目を保ったというのに、これ以上少勝雄に居座られてはたまったものではありません。
当然、次の対局などあろうはずもなく。
本局を最後に少勝雄は日本に帰ることとなります。
物語として面白いと思いませんか?

さて、前回に続いて二話連続で対局物の展開。
興味が無い方にはつまらないですよね?
読者様が離れていきそうで怖いですが、できればお付き合いいただけますと嬉しいです。
実情をバラすと、この二話にかけた時間は他の話の比ではありません。
一手一手、どのような想いをのせて打たれたのか、理解しようと努力したのです。
しかし悲しいかな、私はずぶの素人、名人たちの手を理解できるはずもなく。

でもね、今はツールがあるんですよ。

Lizzie – Leela Zero Interface

このソフトは囲碁の局面を分析し、指すべき手を提案してくれます。
左側に折れ線グラフで優劣が示されます。
これを使えば棋譜の検討ができるわけです。
『鎮神頭』の棋譜ではどうも白38手め(小説中では42手目)G12が敗着手であるようです。
推奨手はF9、展開は以下。

ただしこの展開では歴史に残る名局にはならないのでしょうね。
勝ちを確信した瞬間、返しの大技炸裂、 相手に絶望を与え、精神ダメージ百倍。
あくまでも両シチョウを同時に解決して白石を叩き潰す鬼手だから伝説なのです。

……ええ、分かっていますとも。
何から何まで他人のふんどし。
でもね、こんな凄いツールが無料で使えるなんて、感謝しかありません。
凄い時代になったものですね。
『小説になろう』に囲碁モノが増えるといいな、なんて期待しています。

余談ですが前述の第十八次遣唐使船には最澄や空海、橘逸勢、霊仙といったそうそうたるメンツが乗っているんですね。
で、四隻の遣唐使船で出発していきなり遭難。
うち実際に唐に到着できたのは一番船と二番船の二隻のみ、三番船は難破、四番船は行方不明。
最澄たちの乗る二番船は比較的順調に目的地である明州に着くのですが、一番船は 福州に漂着し海賊の疑義をかけられ抑留されます。
大使、藤原葛野麻呂が嘆願書を書いたものの悪筆悪文でますます嫌疑は深まるばかり。
そこで同船していた無名の留学僧、空海がサラサラサラッと嘆願書を代筆。
あまりにも立派すぎる嘆願書、これは海賊であるはずがないと無事放免されたそうな。
そりゃそうですよね、三筆に数えられる空海の書ですもん。
国宝にするレベルですやん。
この時、空海は個人での長安入京留学の嘆願書もちゃっかり提出し認められることに。
期間は二十年。
まことに図々しい。
実際には唐の滞在は二年であったわけですけれど、その二年の濃ゆいこと濃ゆいこと。
なんでこうなる?という奇天烈さ。

ああいけない、好きな歴史の話だと脱線してしまいます。
空海はやっぱり色んな意味で只者でないですね。


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